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「越境ことはじめ」をする理由

 新型コロナウイルスによって世界が大きく揺らいでいます。数日の間に下す決断が、今後数年、十数年、あるいはもっと先の社会の行く末を占うことになる、そんな歴史的岐路に私たちは突然たたされたることとなりました。しかし果たして私たちは、こういった局面に迅速に判断ができるだけの準備をしてきたのでしょうか。「想定外」を可能な限りなくす努力をしてきたでしょうか。それでも「想定外」の事態が起こり選択を迫られたときに、決断するための基準となる思想を涵養しようとしてきたでしょうか。十分だったと考える人は少ないのではないかと思います。ですが、その事実に絶望していても事態が好転することはありません。いまあらん限りの知恵を絞り、できる限りの事をやっていく他ないでしょう。

 

 世界で30万を超える命を奪っている感染症であるコロナは無論まず第一に生物学的な問題です。これに対処するため、封鎖、隔離、ソーシャルディスタンスといった施作が講じられています。これらはどれも簡単にいうと「線を引く」ということです。線引きという仕方がどうやら感染症対策としては最も有効な手段のようです。しかし「線を引く」ということがどれだけ痛みを伴うものか、どれ程の人が心に留めているでしょうか。「あなたと私は違う」と線を引くことで差別や偏見は起こってきます。戦争や紛争だって、国家や民族という線引きがあるから生まれるものです。私たち個人も「あるがまま」の自分を抑圧し、キャラや役割などの「〇〇な私」に人格を切り分けられることで生きづらさをおぼえています。「線を引く」という営みが、簡単に分けられぬものに線を入れることで「割り切れぬ思い」が生じるように、強い痛みを伴うものだと、どれだけの人が自覚しているでしょうか。

 

 感染者への差別によって住む場所を追われる人まで出ているように、新たな境界線がすでに大きな痛みを生み始めている一方、既存の境界線・分断もまたコロナによって浮き彫りになってきました。例えば国境という境界線は強く浮き出てきましたし、抑圧してきた格差という境界も明らかなものとなってきました。

 

 コロナ禍はもちろん様々な見方ができるでしょうか、私たちは「線引き」という行為や「境界線」に向き合うことを迫られているのではないかとこの事態を受け止め、本企画を立ち上げることに決めました。

 

 とはいえ、そんな緊急性のある状況で、何者でもない数人の若者が脳漿を絞ることにどれだけの意味があるのだろうと思ったりもします。いま考え始めても手遅れじゃないか、そんな心の囁きもきこえてきます。確かにその通りかもしれません。でも、それはやらない理由にはなりません。ガンジーのの言葉にこのようなものがあります。

 

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」

 

 私たちは、いまおぼえている違和感や社会への思いを鈍化させるのではなく、練磨していくためにも、これらに向き合っていきたいと思います。もちろん、私たちの生む知恵が社会に役立つことを祈りながら。

 

 ですが、この大きな課題に向き合うには私たちだけではとても力も知識も経験も足りません。

 そこでコミュニティとして継続的に一緒に考えてくれる仲間を募ることにしました。

 

 私たちと同じように、社会への違和感をおぼえていたり、生きづらさを感じていたり、何かできることはないだろうかと思っていたりする人はきっと少なくないと思います。同時に、どこから考えていいのか、どうしていけばいいのかわからないという人も多いはずです。私たちは〈「線引き」「境界線」が多くの問題に通底する課題であり、「越境」という境界線を意識的に越えようとする態度がこれからの時代の鍵になる〉という仮説を軸に、これから社会や自分を捉え直していきます。みなさんも途方もないこの挑戦を私たちとともにしてくれませんか?

 

私たちと「越境ことはじめ」を綴ってくれませんか?

2020.6.1. 

「越境ことはじめ」発起人 大澤健

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